2019/9/16

〇〇力という呪い~②誰のための「力」なのか~

前回記事では、国語の読解力という謎のものについて、私なりの考察を申し上げました。

昨今、いろんな「~力」ということばと、それに伴ってずいぶん準備のよい、「効果検証がなされているかどうか非常に疑問に思われる」書籍や教材が氾濫しています。
全ての「~力」について考察していくべきなのですが、今回はタイトルの通り「誰のためなのか」という点に集約して考えていきたいと思います。

台風十五号の被害が拡大する中、テレビや紙面では「内閣改造」について多くのリソースが割かれていた感があります。それはともかく、あらたに文部科学大臣に就任した萩生田光一氏(東京24区)についてこのような報道がありました。

英語民間試験、萩生田文科相「実施を前提に全力を」(TBSニュース)

こちらの記事にもあるように、萩生田氏のコメント要旨は「英語の民間試験について『不安の声があることは理解している』が、『見直しや廃止は大きな混乱になるため実施を前提に全力を挙げる』」というものです。まあ、新たに大臣に就任してすぐに官民挙げて進めてきたことを「撤回」するわけにはいきませんから、ここは大人の判断として既定路線なのだと思います。お立場を踏まえた発言なのでしょう。

同時に、こんな報道もあります。

入試改革中止求め高校生らデモ 文科相は「実施に全力」(朝日新聞、有料記事)

高校生の間でも、学校の先生方からも、いろいろな声が出ているようです。

ちなみに、文部科学省が英語民間試験のポータルサイトを開設したのは2019年8月27日でした。TOEICの離脱や英検をめぐる報道などを考えると、遅きに失した感は否めないと思います。特に、今高校3年生の学生たちは、高校卒業後にも大学受験する可能性が高いのに、前もって伝えるべきことはもっとあったのではないか、と個人的には思います。

ただ、政治的主張をお伝えするのがこのブログの趣旨ではないので、これ以上この制度に関して申し上げることは措きます。

いま、大学入試共通テストや英語の民間試験導入によって、いろいろなことが言われていますが、「思考力」「表現力」「コミュニケーション能力」といったことが盛んに話題になります。それ自体はわたしも、賛成といいますか、学生たちに必要な「スキル」としてもちろん備わってほしいと思っています。

ただ翻ってみるに、自分を含めて、そういう力を今までに、意図して身につけてきたかと言われると非常に疑問が残ります。またそういうことを、いろんな機会で生徒たちに意図的に伝えてこられただろうか、特に英語については自信が持てないのも正直なところです。1

さて、そうなると「これまでは思考力・表現力・コミュニケーション能力については、適正な指導が行えていなかった」ということになってしまうのか、どうなのか。とみに気にしているのはその部分です。といっても、それは特定のどなたかを批判するという意図ではなく、「検証が必要ではないだろうか」ということです。そうなったときに、わたしが懸念するのは、こうした「~力」と呼ばれるものが非常に定性的であり、効果検証に適さない力であるということです。

そこで、文部科学省がどのようにこうした「力」を定義しているのかというと、

「思考力・判断力・表現力等」についての整理のイメージ

というページがヒットしました。正直言葉遊びのようになってしまいますが、「イメージ」では困るなぁ、という印象です。ただ、こちらで挙げられている(特に2ページ目)ことについては、よく「PDCA」と似たものであるということは、ほとんどの方がお気づきのことかと思います。

jそうした、考え方のフレームを身につけてもらえるような教育であれば、わたしも賛成ではあります。ただし、ここで問題になるのは、やはり評価面です。英語であれば、CEFR(外国語の学習・教授・評価のためのヨーロッパ言語共通参照枠)というものがあるのですが、「思考力・判断力等」については、これまでにこうしたことを意図して教育してこなかった側がどう評価するのか、どう検証し、どう次にサイクルをつないでいくのか…ある種ソフト面に対する懸念があります。

誤解を恐れずいえば、こうした教育を子どもたちに提供できるほど、大人の側(学校教員に限らず)は成熟しているのだろうか、というところがどうも疑念として残るのです。むろん私自身も例外ではありません。

総務省が平成26年度に実施した「情報通信白書」には国際的なインターネットへのリテラシー能力の比較を行った項があります。

こうした資料をみると、ネットリテラシーが低いのは若年世代というよりもむしろ中高年世代であり、またテレビなどの報道をうのみにしてしまうのもやはり中高年の世代と言っては言い過ぎでしょうか。つまり、おとなが成熟するのが先行していなければ、そもそも導くに値しないのではないでしょうか。印象論がまん延したり、言説が硬直化していたりすることが、われわれの世代を含め、おとな側に顕著ではないでしょうか…。いろいろ考えていくと、わたしを含めおとなは無謬ではないですから、そういう側が「正しく」導けるのかどうかという点についての不安に行きついてしまいます。

そうして考えていきますと、タイトルに軌道修正するわけではないのですが、次のように考えられるのではないかと感じています。

・子どもたちに、「自分たちになかった力」を身につけてもらおうということは、考え方としては正しい。

・しかし、おとながそうした力について効果検証もできないようでは、絵にかいた餅となる。

・現場で混乱する子どものことこそが、最優先課題であり、省庁や業者を含めた「おとなの側」での混乱はこれを受忍すべきではないだろうか。

言い方は悪いですが、「自分たちに足りないものを子どもで実現しよう」という魂胆はあまり感心しないのです。その前に自分たちが謙虚に学ぶことの方がずっと大切ではないでしょうか。つまり、「子どもだけに負担をかける『~力』ではいけない」ということが今回申し上げたいことです。

次回こそ、それぞれの「~力」についての分析を行おうと思います。

講師:粕川優治

プレミア講師。1977年生。上智大学文学部社会福祉学科卒業。大手塾などで指導経験を積み、英語、国語指導に熟練している講師です。

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