2024/2/9

読書録「思考の枠を超える」

私がここ最近読んでいる本のなかで特に信頼している著者がいます。それは篠原信さんという方で、本業は農業系の研究者です。

最初に知ったのはTwitter(現X)での発信で、子育てや教育に関して鋭い分析をされているなあ、という印象でした。それから、「子どもの地頭とやる気が育つおもしろい方法 」という本を読み、さらにその思いを強くしました。この本は子育てする親にとって名著ともいうべき本で、非常に読みやすい上にポイントが詰まっているので、またの機会にまとめたいと思っていますが、今回読んだ本は「思考の枠を超える」というタイトルの本です。

この本は、「いつの間にかできている思考の枠=『思枠(おもわく)』をずらしたり超えたりすることで解決することがあるのでは?」という筆者の見解が書かれた本です。

今回は特に子育てに関係する部分、の中でも特に個人的に感銘を受けたポイント3点に絞ってご紹介したいと思います。

①押すでも引くでも対決姿勢でもなく、横並びへ

少々長いですが、そのまま小説の一節としても成立するような情景が思い浮かぶ場面でありながら、そこに篠原さんの教育への信念が表れていると感じましたので、引用させていただきます。

「海岸で子どもの真横に立ち、一緒に海を眺める。ただそれだけ。子どもが数センチ手前に出た。私も同じだけ進んで真横に。波がやってきて、子どもが下がると、自分も下がって真横に。すると私のことを「自分が勇気を奮った目安」にし始めたのか、少しずつ進むように。やがて胸まで海に沈め、「おお、やるなあ」と声をかけると誇らしそうな顔をした」

不安のあるときほど、自分のペースで進めたくなる。しかし、手をひっぱられたり、背中を押されたりすると、自分のペースで進められなくなる。不安でパニックになり、恐怖を感じる。

→背中を押すでもなく、引っ張るでもなく、横に並ぶ。のがよい。

私の信念と非常に近く、共感を覚えました。同時に、画がありありと思いうかぶ描写で表現する篠原さんに感銘を受け、嫉妬を覚えました。私が思う理想的な親のあるべき姿は「子どもの後からついて行って、追い風を送る。それでいて、決して先には行かない。」というものです。

ですが、実に多くの保護者が、先にリードしてしまうんですね。それによって子供のモチベーションは下がります。私たちがこれまで相談に乗ってきたほとんどのケースがこれに該当していると言っても過言ではありません。そして、高学歴で仕事ができる方や情報感度の高い保護者ほどそうなってしまっているというのを実感します。ですので、「ただただ横に並ぶ」という姿勢は、正に「言うは易く行うは難し」で、親の覚悟と胆力が問われると言ってもよいでしょう。

②短所は長所の裏返し

小学生の時、担任の先生が協調性のない著者を何とかクラスメートになじませようとしたが、手を焼き、罵るようになった。面談に行って、問題行動の事例を聞かされた父は「先生、それは息子の長所です。息子の長所を潰さないでください。」
先生はとっさに何を言われたのか分からない。
「世の中にはビルの警備など、夜中にひとりでこなす仕事がある。そうした孤独に強い一が一定数いることで世の中は回っている。息子は孤独に強い。それは息子の長所です。だからその長所をつぶさないでください」

先生は驚き、他の生徒についても父に聞いた。するとどの問題行動もその子の長所だという話になり、次から次へと別の生徒について相談するものだから相談が1時間以上に。翌日から先生の私に対する姿勢が変わった。注意深く観察し、自然に声をかけてくれるようになった。

→先生は「協調性がなければ世の中渡って行けない」という思枠を持ち、その思枠から外れた著者を問題だと考えた。一方、父は「協調性がない人もこの世の中は必要とする」という別の思惑を提示した。先生はその思枠の方が多様な子どもを上手く指導できるかも、と感じたのか、父の話を素直に受け止め、接し方を改めてくれた。

著者の父の「短所も長所に見える」という才能が見事に表れたエピソード。あらゆる仕事に役立つ資質ですが、特に子育て・教育に関わる人にはとても大切な資質ですね。
もし全ての親が、そして全ての先生がこの資質を持っていたらどんなに世界はよくなることだろう、と思わざるを得ません。また、学校の先生の見方が誤っていると思えばしっかり反論して説き伏せるところは、父の信念の強さを象徴するエピソードです。単純に子どもが怒られたから逆ギレするというのとは全く異なります。

③面白くもないことを面白く

トム・ソーヤのエピソードを紹介しています。

おばさんからペンキ塗りを命じられたトム・ソーヤ。友人が通りかかって「ペンキ塗りをさせられているのか」とからかいます。ですが、トムは「ペンキ塗りは奥が深いんだ。きれいに塗るにはコツがいる」と熱中します。最初は「やらされている」という「思枠」を抱いたはずの友人がいつのまにか、自分もやってみたくなる、という展開に。

→宿題に対しての親の捉え方に応用できる
多くの家庭では、親自身が「宿題はつまらなくてもやらねばならないもの」という「思枠」を抱いている。が、中には子どもが自発的に宿題をするから親から宿題しろなんて言ったことがないという家庭がある。ここには「思枠」の工夫が見えてくる。まずは親は「宿題はしてもしなくてもいいよ」という「思枠」を採用している。

→子どもが宿題を始めたら、親は驚く。「何も言われないのに、えらいねえ、頑張るね~」
すると、子どもは「誰にも言われないのに、自主的に宿題をする偉い子」という思枠に気づき、誇らしくなる。しかも、親が驚いてくれるので、宿題をすれば「親を驚かせられる」という「思惑」に気づく。

これも「①押すでも引くでも対決姿勢でもなく、横並びへ」に通じる部分です。篠原さんは様々な本で一貫して「結局のところ、子どもは親を驚かせたいんだ」と書いています。ここに本質があるように思います。
そこに対して、親は素直に驚くことで、子どもはもっと驚かせてやろうとやる気を出し、よいサイクルが生まれる。親が先回りしてリードするありかたとは真逆の姿勢ですね。

ただ一方で、親が「宿題はしてもしなくてもいいよ」という「思枠」を採用するのは意外とハードルが高いのではないでしょうか。つまり、教育熱心な保護者ほど「宿題をコツコツとできる習慣はぜひわが子に身に着けてほしい」と思っているわけです。「「宿題はやってもやらなくてもよいよ」という姿勢は受け入れられない」と感じる方は一定数いるはずです。

これに関しては、私は一つのカードとしてこういう考え方を持っていてもよいのではないかと思います。つまり、現在お子様が宿題にコツコツと取り組めているのであれば、そのまま見守る方向でよいと思います。ですが、どうもやる気を失っている、もしくは親が先走ってしまっていて、本人はイヤイヤやっているという状況を認識している場合、思い切って方針転換を持ちかけてみる(具体的には「宿題しなくてもいいんじゃない」との提案)のもありだと思います。

とは言え、現実的に先に中学受験を控えている、だったり、中高一貫校で上位を目指しているという条件があると、そうもいかないですよね。つまり、ここでも、保護者がゲームをコントロールしている限り、解決には至らないですね。すべては、親ではなくお子さん自身が主役として生きているか、に行きつくところです。

まとめますと、①~③のいずれも、親が見方を変えることで、子どもへの捉え方が変わるという点が共通しています。そして大切なことは、親がときにじっと我慢をして、子どもの前に行かないという姿勢を貫くことでしょう。

究進塾代表 : 並木陽児

大学受験生に化学を教えています。最近ハマっていることは、川遊び(ガサガサ)と魚の飼育です。

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