2020/4/23

『対話で学ぶ国語』開講延期のお知らせ

 3月23日のブログでご案内した「対話で学ぶ国語」について、延期のお知らせです。

といっても、おそらく6月前後には開講の準備は整うと思っています。開講できる見通しがつきましたら、このブログや、その他媒体で告知させて頂きます。

この記事を書いております今も、小池都知事の会見が行われ、「学習塾:建物の床面積1000平方メートルを超える施設」については、休業要請がありました。

究進塾は本校も横浜みなとみらい校もそれには該当しません。しかし、塾生の皆様にはお伝えしておりますが、随時オンラインでの授業へ移行しています。そのため、事務局は可能な限りリモートでの勤務体制を整えております。

ただし、管理業務として、また各種事務対応にはやむを得ず出勤せざるを得ないケースもあります。その場合は、最低の人数で、最短時間で業務を行うことになります。皆様におかれましては、ご理解頂ければ幸いです。

さて。「対話で学ぶ国語」の準備として、今はいろいろな新聞記事をストックしています。このブログではなるべく政治的バイアスのない記事作りに努めていますが(そうはいっても漏れ出てしまうもの)、今回のこの新型コロナウイルスの対応については、いろいろな検証がなされるべきだと思っています。それを通じ、健全な批判能力を養うことは、実は文章を通じて、話し、書き、考えるときに生きるものです。

「批判するな」という論調がいろいろなところで問題になっています。そもそもが、「批判するな」という言辞そのものが特定の誰かを向いてしまう以上これはトートロジー(同義反復)と近いものに思えてしまいます。が、それを差し引いて考えても、「批判」を「非難」と混同して(あるいは意図的に混同させて)いるように思えてなりません。

 三省堂『新明解国語辞典(第七版)』を繰ると、こうあります。

・「批判」…「物事のいい点については正答に評価・顕彰する一方、欠陥だととらえられる面についても徹底的に指摘すること」

・「非難」…「他人の欠点や過失を取り上げ、それは悪いと言って責めること」

いろんな場面で「批判をするな」ということを仰る人は、概ね後者の「非難」の意味でものを語っていると思われます。しかし、この二つの言葉を比較すれば明確に違っていることがわかります。

「批判するな」がどういった文脈・政治的意図で使われているか、それは難しい問題ではあります。ただし、雑に取り扱われると困るな、という思いが生じるのも事実です。

 仮に「政府の一連の(一連のというのが大切)対応」に対する「批判をするな」というのは、「評価も欠陥の指摘もするな」ということと同義です。つまり、これは民主主義制度の中で「代理人」として動く議員、かつ行政を取り仕切る内閣に対してものを言うな、というのと同義です。つまりは、雑な言い方ですが「国民は黙れ」ということになってしまいます。

 主権者は誰だったでしょうか…?明確に定義されていましたね。

<日本国憲法前文(抜粋)>

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

<日本国憲法第一条>

 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

<日本国憲法第十二条>

 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

そう、主権は国民にあるのですよ。そして、国民はその不断の努力によって、自由を享受するためには「自由や権利を保持する義務」があると言っていいでしょう。それならば、その目的のために、「批判」というものは手放してはならない手段です。かりに「批判が許されない」のであれば、何の意思表示もしないのとほぼ同義ではないでしょうか。

憲法は改正すべき、と現与党は言っていますが、その議論に触れるまでもなく、「黙る」というのは民主的な姿勢としては完全に誤っています。先人たちーこれは日本に限らず民主主義を創り上げてきた全ての人をさします―へのリスペクトという意味でも、「黙る」ことは後退するのにほぼ等しいと言えるでしょう。なぜなら事象は不可逆的に、時間とともに積みあがっていくからです。これはコロナウイルスに限った話ではもちろんありません。

話がそれてしまいました。「対話で学ぶ国語」でこうした議論を展開することはありませんので、ご安心ください(笑)。

ただし、いろいろな情報を精査すること。それはつまり、いろいろなバイアスのかかった意見同士をぶつけて整理し、論点を抽出し、それぞれについて考えることでもあります。それは充分、入試の範疇です。そして学校で展開されるいろいろな授業のときにも、求められることです。なぜなら、思考の根っこにあるのはそうしたことですから。

また、この時期はいろいろな本に久しぶりに目を通すことにしています。小学生のみなさんに向いた本を探すのは、実はなかなか骨が折れるものです。というのも、内容は言うまでもなく、「適度な長さ」という条件がついてしまいますので。

最後になりますが、皆様におかれましては、本当にご無事で…また元気にお会いしたいと思っています。くれぐれもご自愛下さい。

講師:粕川優治

横浜みなとみらい校校長。1977年生。上智大学文学部社会福祉学科卒業。大手塾などで指導経験を積み、英語、国語指導に熟練している講師でありながら、教室長としても活躍中。

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