2024/2/19

マルハラについてのぼやき

昨今、「若者」「Z世代」についての報道で気になるものがありました。最初文字列で目に入ってきたときは何のことかわかりませんでしたが…

いわゆる「マルハラ」というものですね。
「文の末尾に句点(。)があると、若者は『相手が怒っている』と感じてしまう」というお話です。

LINEの「。」は怖い? 「マルハラ」「おばさん構文」を読み解く(毎日新聞)

大昔から「近頃の若いもんは」という、年長者からの若い世代に対する評価(ディスり)はあったようですが、その派生でもあろうと思います。要はこうした議論(?)は繰り返されているものでもあり、それほど大きな問題ではないとも考えられます。

いっぽうで、次のような意見もよく目にします。

「最近の若者は…」と言いたくなったら、それは思い込みが強くなり始めた兆候だった:研究結果

この記事は5年前のものですが、「最近の若者への批判というのは年長者世代の偏見と思いこみである」というかなり攻めた結論に落ち着いています。

個人的にはあまり議論が好きでもなく、ディベートも苦手なのであまりはっきりした結論を言うのは嫌なのですが、先ずなによりも「最近の若者」とひとくくりにして、それに目くじらを立てて、年長者たちがエコチェーンバーに閉じこもってしまうのは問題だろうと考えています。

それに何より、「年長者と若者の関係」と言ってみたとしても、それは「海とマグロの関係」と言っているのと同じで、あまり意味のない言葉です。
なぜかというと、意図的に「個々の関係性を捨象している」からであり、逆にそうでなければ成り立たないと考えられるからです。また特異な関係性で起きたものを、さも全体に言えることのように語られることもあります。

「上司と部下」と、「学校の教師と生徒」とでは、力学的に似たものが生じるかもしれませんが、「企業と顧客」とか、「塾の先生と生徒」となると、だいぶニュアンスも異なってくるでしょう。

またそのような関係性においても、時期や年齢によって、本当にさまざまです。

記事を書く側の立場に立ってみれば、比較的センセーショナルで「とにかく目を引く」ような記事を書かなければ売れませんし、そういう心情もよくわかります。
ただ、「煽るだけ」の記事ははっきり言って情報リソースの質を低くするだけなのでやめてほしいなぁ、とも思います。

さて、わたしも高校生や大学生の方々とやり取りをするわけですが、句点で終わる文章について話を振ったこともなければ、「あんた怒ってんのか?」と言われたこともありません。しかし、ひょっとしたらそう感じていた人はいたのかもなぁ、という気づきはありました。

文字テキストだけでやり取りをしていると、お互いに「言いたいこと」を遠慮なくぶつけ合うことにもなり、いきおい殺伐としたものにもなりやすい。これは年長者同士のコミュニケーションでも感じることです。何しろ誤解があってはいけないですし、過不足なく情報を伝えなければ文字コミュニケーションは意味がないものになります。

そう考えると、やはり多くのケースにおいて「年長者が指導的であるか、決定権・影響力を持つ」というコミュニケーション関係が多いとは思いますから、そのようなときには「どちらかがしっかり配慮をしなければならない」ということになるのかもしれません。

それが「。」をつける、つけない、というお話なら、しょせんそれまでの関係性なのではないかとも思います。

かりに上司からのLINEに「。」があったとして、そして部下が「きついなぁ」と受けとったとして、部下の側から文句を言うかどうかというと、関係性が構築されている(心理的安全性が高い)のであれば指摘されるかもしれませんが、そうでない場合にわざわざ指摘することはないでしょう。そんなリスクは避けたいはずです。それぐらいきちんと考えられます。「最近の若者」を馬鹿にしすぎなんですよ。

上で挙げたWIREDの記事にも同じニュアンスのことが書かれていましたが、All Aboutにも上手にまとめた表現がありました。

マルハラ配慮は「。」が怖い若者への媚びではない。47歳が職場観察で気づいた「老害」の特徴

「そんなの知ったことか」というのは簡単。だが、「そうなんだ」といったん受け止めて、じゃあ、どうすればいいのか、せめて自分は怒っているわけではないと伝えようと「相手側に立つ姿勢」

そう、コミュニケーションにおいては文字や句読点よりも「姿勢」を見せることが重要。

今回のマルハラもそうですが、同種の報道やそれへの反応を見ていると、年長者側の動揺が目立つように思うのです。年長者がドシッと構えていなければ、若者も動揺します。厳しく接しようが優しく接しようが、「コミュニケーションを通じて、年長者として経験してきたことを伝える」という努力を怠ったらおしまいです。

また、こんなことを言ってしまってはおしまいですが「若者」は「他人」です。他人を変えるのは大変、というか極論「無理」です。よって、自分が「老害」扱いされないようにしよう、そうしよう…

個人的には「最近の若者」論、略して「サイワカ」については、「自分のコミュニケーションの方法や関係性を見直す契機」にしようと思うぐらいです。

今回もまとまりのない内容でございました。

講師:粕川優治

究進塾副代表。文系大学受験、および日大内部進学コースの責任者をしております。

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